| 松岡正剛のにっぽんXYZ |
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セイゴオ先生の「にっぽんXYZ」教室と同時進行。濃〜い日本史話が満載! |
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松岡正剛のにっぽんXYZ
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08 歌枕と今様(Z=梁塵秘抄 その2) 人々のこころを歌う新しい歌
Mon, 29 Nov 2004 18:46:00 -0500
今様を歌い踊った白拍子たちは可憐な男装でした。日本ではこのような男女の取り替えは、神聖な神の出現ともとらえられたんです。神聖な神に奉仕した巫女たちは、また、遊女でもあった。その遊女たちの今様に、時の最高権力者、後白河法皇がぞっこん惚れこんでしまったわけですね。最下層の遊女とトップの法皇が繋がる。これが日本文化のおもしろいところです。
今様を全国的に流行らせたのが、この遊女たちでした。当時、遊女はどこにいたかというと、各地の交通の要所にいたんです。中世は川や海の舟を使った交通が中心だったので、遊...
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08 歌枕と今様(Z=梁塵秘抄 その1) 大流行した平安時代のJ-pop
Sat, 27 Nov 2004 23:30:00 -0500
街のCDショップには所狭しとJ-popのアーティストやアイドルのCD、DVDが並んでます。今ではネットで買う人も多いですね。こういうものを日本では「流行歌」といいます。では、流行歌はいつごろからあったと思いますか? 実は平安時代のころからあったんです。
平安時代のころは、流行歌のことを「今様(いまよう)」と言っていました。「新しい」という意味です。また、「ファッショナブル」という意味もあるんです。平安時代、流行歌を琵琶など当時のいろいろな楽器を使って歌う歌手がいました。しかも、ファッションにつ...
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08 歌枕と今様(Y=方丈記 その2) 「わび」と「さび」に生きる新たな価値観
Wed, 24 Nov 2004 21:41:00 -0500
後鳥羽法皇は、鴨長明に神官としての生活を保証しようとしたのに、長明はこれを断ってドロップアウトした。長明は、いったい何を考えていたのでしょうか?
保元の乱が起こる前、白河法皇らは、都に巨大な六勝寺や鳥羽殿を建設しましたね。でも、これは源平の争乱ですべて灰になってしまったんです。戦乱が収まると、後鳥羽法皇はまた京都をきらびやかに再建しはじめますが、こうした俗世間が素晴らしいと思う大掛かりなものはすべて滅びるんですね。それでは、人がなしとげられることはほかにないのだろうか。長明は生き方を変えて、そ...
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08 歌枕と今様(Y=方丈記 その1) 鴨長明が選んだ数寄の方丈生活
Sat, 20 Nov 2004 23:33:00 -0500
日本の変革期である12〜13世紀を、文化から見ていくXYZのYです。2番目のここには『方丈記』を選びました。『方丈記』はだれが書いたかわかりますね。鴨長明(かものちょうめい)です。1212年、長明が58歳ごろに書かれた作品で、『方丈記』という書名は、長明が晩年に住んだ京都の南東、日野山の草庵にちなんだものです。大変に有名なエッセイの古典ですが、たった8000字、400字詰めの原稿用紙で20枚ぐらいの短い文章なんですね。
でも、この8000字のコンパクトなエッセイの中には、日本の中世の大事な考え...
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08 歌枕と今様(X=山家集 その2) 戦乱の世と西行の「花鳥風月」の心
Tue, 16 Nov 2004 19:26:00 -0500
西行の最初の長旅は、陸奥の歌枕の地を巡るものでした。歌枕とはなにか、知っていますか? 万葉集以来の古い歌が詠まれた土地の名前や景色を言うんですね。歌枕は、「吉野」と言えば「桜」で、「竜田川」と言えば「紅葉」というように、連想される言葉をもったキーワードであり、その景色にひそむ物語が取り出せるデータベースでもあるんです。そのため、歌枕は絵画の画題になり、着物の文様にもなっていきます。
また、歌枕の地を訪れ、その景色に触れることは、古い歌とともにそれを詠んだ歌人の人生をよみがえらせることでもあった...
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08 歌枕と今様(X=山家集 その1) 数寄の遁世者・西行の生き方
Sat, 13 Nov 2004 22:51:00 -0500
さあ、ここからは、平安末期から鎌倉時代へと、中世日本が大きく変わっていった時代を文化から見ていくXYZです。その3つは『山家集』『方丈記』『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』という文芸の作品。まず最初のXは、西行という歌人の『山家集』を取り上げましょう。西行は平清盛と同じ1118年に、京の武官の家に生まれたんですね。平清盛と西行、まったく違った生き方をした二人ですが、その若き日の二人は、武士として実はたいへんよく似た道を歩んだんです。
西行はもともとの名前を佐藤義清といいます。平将門を討伐した俵...
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07 院政と源平(Z=源頼朝 その2) 戦乱から生まれた鎌倉幕府の統治システム
Tue, 09 Nov 2004 22:48:00 -0500
頼朝に先んじて京都に入った源義仲でしたが、もともと政治力に欠け、朝廷との折り合いが悪かったんですね。そこに後白河法皇が頼朝に接近を図ったんです。義仲は怒って法皇を幽閉してしまう。これを義仲を討つチャンスとみた頼朝は、即座に行動に出た。1184年1月、弟の源範頼を総大将とした6万の大軍勢が京都に向かいます。その先頭を切ったのが、これも頼朝の弟、源義経でした。
平治の乱の後、清盛に敗れた源義朝の遺児として鞍馬山に送られた牛若丸こと義経は、自分の素性を知ったのち、平泉の奥州藤原氏三代の藤原秀衡(ひで...
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07 院政と源平(Z=源頼朝 その1) 日本を覆った源平の大争乱
Sat, 06 Nov 2004 20:11:00 -0500
「うぐいす鳴くよ(794)平安京」、「いいくに(1192)できた鎌倉幕府」なんて年号の覚え方は昔からありますね。400年に及んだ長い長い平安時代が、いよいよ12世紀とともに終わろうとしています。日本は12世紀末から13世紀で大きく変わる。これはぜひ覚えておいてほしいところですね。法皇、平清盛とみてきた変革期の日本のXYZの最後のZは、もちろん「源頼朝」です。
ご存じのように、頼朝は征夷大将軍となって鎌倉幕府をつくります。ずっと日本を支配していた天皇に対して武家の将軍が並ぶという新しい時代が始ま...
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07 院政と源平(Y=平清盛 その2) 初の武家政権の成立と遷都計画
Tue, 02 Nov 2004 23:56:00 -0500
1156年、鳥羽法皇が重態に陥ると、後白河天皇と崇徳上皇の院政の後継をめぐる対立は一気に緊迫します。上皇、天皇の間だけではなく、このときに起こっていた関白の座をめぐる摂関家の争い、藤原忠通と弟の頼長の対立も重なった。朝廷全体が真っ二つに分裂するんですね。両派は有力な武家を味方に引き入れることに必死になった。こうして北面の武士、武家の棟梁として台頭した源氏、平氏それぞれも上皇方、天皇方に分かれたんです。
父の死後、平家一門を率いて鳥羽法皇に仕えた平清盛は、後白河天皇方についた。叔父の平忠正は崇徳...
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07 院政と源平(Y=平清盛 その1) 貿易立国をプランした平清盛の慧眼
Sat, 30 Oct 2004 05:54:00 -0400
最初の武家政権をつくった平清盛、みなさん、もちろん知っていますね。清盛については、平家物語の「おごれるものは久しからず」や、「盛者必衰のことわり」など、平家滅亡のシーンがよく記憶されていますが、この平清盛が統治者として実際に考えていたこと、推進したことには、もっと注目したほうがいい。
その一つの大きなポイントは、国際貿易を強力に押し進めていこうとしたことです。海に囲まれた日本で、貿易を中心にすることは、海洋に生きる国、海洋国家をつくろうということですね。これは日本の歴史の中でも非常にユニークな...
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